ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

カトキノススメ

人は自分の生きている今こそ歴史の花形だろうとつい思ってしまうが、実際はそうではない。歴史には必ず、時代と時代の狭間に過渡期という、誰も注目しない時間が存在する。私が思うに今我々はその過渡期にいる。


過渡期とは何か。それは新しい時代が開かれるための準備期間。したがって過渡期には新しい時代を切り開くような「正解」は存在しない。全問不正解のどうしようもない時間帯、それが過渡期である。たとえば今現在ちょっと大きな視点で周りを見ても正解は少しも存在しない。どこも行き詰まってるのにとくに妙案もないまま相変わらずに、ただ一つの居住区である地球を住みづらくしてみたり、同種族なのにつまらない理由で殺し合ってみたり、あとに何も残らないのに我欲で経済という歯車を回して喜んでみたり。まさに”過渡期の停滞”そのものだ。


また最近の若い世代にはどうやら「古きを知る」という機能が備わっていない。これも過去からの断絶を必要とする、過渡期のもたらした歴史の必然だろう。過渡期においては常識や価値観の喪失が起こる。つまり民族的上位意識においてリセットがかかる。そして新しい時代はリセット完了後に始まる。だから彼らはただ不正解を出すためだけの、リセット要員として生まれてきたといっていい。正解が示されるのはおそらく数十年後か、数百年後。なぜならだいたいの場合において過渡期というのは長い。きっと彼らの世代もその次の世代もその次も、全問不正解の回答をし続けるだろう。薔薇色の未来はしばらく来ないと私はここに予測する。