ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」見ちゃったよ

今まで何度かちらりほらりと場面々々だけ接近遭遇してきた映画版をアニマックスで初めて通しで見た。まぁ、面白くないわけではないが熱狂する類のものでもないな。


内容的にはいかにも日本アニメだなぁという感想。「どう在るべきか」を小1時間半問い詰めまくる内向きの物語。自分がオリジナルであることがそんなに大事かなぁ?いたずらに純粋さを追求するのは非論理的だと思うけど。


ここで分かり易い対比キャラクターとして、スタートレックヴォイジャーの、我らがドクターこと緊急医療ホログラム(EMH)を召還しよう。彼はルイス・ジマーマン博士のほぼ完全なコピーだ。ホログラムだから子供時代の記憶もないし名前もない。だが彼は自分がコピーだからとかホログラムだからとか人間じゃないからといって悩んだりしない。なぜか?それは彼は「どう在るか」よりも「どう生きるか」の方が大切で簡単で有益なことを知っているからだ。だから彼は積極的に、対外的に生きていく。そしてその結果として艦長から「人間よりも人間らしい」という、新しい生命体として最大の評価を得ることになる。


これでいいんじゃないの?と思う。ささやかな相対化でしか認識できない自己の何がいけない。そこをスタートラインとして、どういう道を歩いていくかが自己なんじゃないのか。大切なのは、この道を行けば(略)迷わず行けよありがとうの精神なんじゃないのかコノヤロー元気ですかあ123ダー。というわけで少佐はA猪木のDVDボックスでも買いなさい。


ちなみに「対外的に生きる」キャラクターはアメリカのアニメ・ドラマを見ているとよく見かける。対比として乱暴な例を出すなら、サザエさんシンプソンズサザエさんのストーリーが家庭内で完結するのに対し、シンプソンズはホーマーが家の外(外といっても範囲は隣家から宇宙まで)で起こす騒動がストーリーの中心になっている。これがどういう違いを生むかというと、対外的に生きるキャラクターの方が生き生きとするんだなこれが。その物語が続けば続くほど魅力が深まっていく。「だから日本のアニメはつまらない」という気はさらさらないけど、こういうキャラクターを作れなくなって来ているのは確かだと思う。日本アニメの特性をアメリカの映像メディアが取り入れるといちいち大騒ぎするけど、そろそろ逆のことをしてもいいんじゃないですかね。