ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

女高生に少年4人で痴漢、乗客の大人は見て見ぬふり

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041129i415.htm


電車の中でうるさいガキに遭遇すると親を注意するか何らかのプレッシャーを与えたりする私ではありますが、さすがにこれは、ねぇ、無理だよなぁ。『岸和田』『4人組の少年』『もっとやれと大声ではやし立てる』天下の大讀賣珍聞様はこんな凶悪犯罪者集団(しかも罪を犯してもたいした罰を受けない)の中に丸腰で割って入れとおっしゃりたいようですが、つまり戦って死ねということですわな。お前は人のために死ねるかと、あいつの名はポリスマンと、そう言いたいわけですわな。一介の乗客の正義感に期待しすぎ!ステレオタイプなものの見方しすぎ!


別の世論調査の記事でも『一億総中流といわれる日本社会で』なんて未だに書いてるけど、あまりにも時代錯誤が甚だしすぎる。失業者だのニートだのが100万人くらいいる社会のどこが中流なの?一億総中流といわれてた時代にそんな人々が数十万人単位で存在したか?そして正義感だけで4人の少年犯罪者に立ち向かう奴なんかいるか?前から思ってたけど新聞記者てのはどうしてこう浮世離れしてんだろう。それともこれは讀賣が異常なだけ?


話を電車内の痴漢に戻す。そもそも何でこういう、電車内でのアクシデントは「全て乗客の親切心任せ」なんだろう。私はそこがおかしいと前々から思っている。電車内の治安管理は乗客ではなく電車会社がすべきじゃないのか?最大15両編成としてラッシュ時には1500人くらいが箱詰めされている中で、電車会社のスタッフはたったの2人。しかもそのうち1人は前を向いたままで乗客の状況など知りもしないし、もう1人の方はアナウンスとドアの開閉に追われっぱなし。


つまり1500人が箱詰めされているのにその管理者は事実上、誰もいないのだ。車内の均衡は乗客同士のおぼろげな「常識心」でたまたま保たれているだけ。いちじるしく「常識」の異なる者(例えば痴漢・酔漢、そして例えばサリンテロ犯…)がいればあっという間に治安の崩壊する空間。それが電車内であり、これが大変に異常で恐ろしい状況だと思うのは私だけだろうか。


常識なんて概念自体がぶっ壊れてる現代社会で未だに個々人の常識・親切心・正義感に期待するシステムを採っていること自体がもう間違いなのだ。電車会社は一車両に最低1人は警備員を置くべきだと思うし、物理的に警備員が無理としても何らかの治安管理システムを導入すべきと思う。


ちなみに私が特急やらグリーンやらに乗るのは楽だからというのもあるが、普通車両という異常空間に身を置きたくないからでもある。マジで。