私が海外アニメ道に入った経緯 その1
たまには自分のことを書く
かつてアニメファンは研究者でありネクラネクラと虐げられた民だった。80年代の終わりにそれまで無意味な存在と思っていたアニメを突如として見だした私もその民の息吹を受け継いだ一人だった。彼らには一つの信仰があった。それは「いつか大人の鑑賞に耐えられるアニメが作られてアニメが文化として認められる」というものだった。だがメディアミックスの御旗の下に時代は徐々にアニメの消費物化へと進んでいき、その不気味さに恐れおののきつつも今の腐った未来を知らない私は日々「無意味と思われているものを再思考する」という地道なアニメ研究の道を歩んでいた。そんなときに出会ったのがテレビ東京で放送されていた「バットマン」だった。重厚な音楽、深遠な脚本、ダイナミックかつ繊細な動画。それはもうTVアニメではなかった。上映時間の短い映画。今のバカなオタクのように日本アニメが世界一でアメリカアニメはクズだと普通に思っていた私にとってその出会いは革命的な出来事だった。さらに「ミルアミーゴ」というサークルの同人誌とアニメージュの「バットマン」特集でその作画が日本で作られたものだと知り私は大いに驚愕した。我々の求める「大人の鑑賞に耐えられるアニメ」はアメリカでもう作られているじゃないか!答えはもう出ている!ここに至って私はアメリカの脚本・音楽力と日本の作画力、この合体こそが究極のアニメを作るただ一つの方法であると確信した。そして当時アニメ誌に文章投稿をしていた私はその方程式を何とかして喧伝しようと画策したが、あまりにも突飛で先進的な発想と私自身の文章力の乏しさが災いし、これを人に説明するのは不可能であるという判断を下すしかなかった。ちなみに日米・日仏の合作が注目され始めたのはここ数年のことである。さて青少年期にアメリカアニメの恐ろしさを痛感した私であるが次にテレビ東京で放送された「X-MEN」はたいした出来ではなく、脳内でのアメリカアニメの実力は混沌としたものとなった。そして当時のアメコミブームの終焉と共にアメリカアニメも地上波で見かけることはなくなった。私は普通のアニメファンに戻り、手当たり次第にOVA以外の作品を見ていたがあるとき事件が起こる。「新世紀エヴァンゲリオン」である。最初は凝ったディテールに感心する程度だったが物語が心理的な側面に踏み込むにつれ私は次第にのめり込んでいった。そしてあの最終回で、私の中の日本アニメへの希望は終わった。「バットマン」の完成度に比べれば「エヴァ」は子供の作ったゴミである(当時はどこにも記さなかったが今は書く!)。あんなゴミを放送してしまうような輩の作るものは見る必要がなく見る価値も思考する価値もない。私は絶望し、放送後に異常に盛り上がるエヴァブームから完全に背を向けた。それは一般的なオタク社会との決別でもあった。そして私は子供向けアニメというジャンルに踏み込んだ。そこはほとんどのオタクが手をつけない領域で、かつオタクアニメーターではなく職人的なアニメーターが生きている場所であった。「子供向けだからこそ真剣に作らないと見てもらえない」という、オタクアニメによって失われたTVアニメの大前提がまだ息づく場所でもあった。私はオタクアニメを毛嫌いし、アイドル声優ブームを軽蔑し、消費者オタクを呪った。そんなある時、安売りショップで偶然出会ったのがビデオ版の「バットマン・ザ・フューチャー」だった。はじめは「あのバットマンのビデオかな?」ぐらいに思っていたが、視聴後にそのハイクオリティさで私はまたもや「バットマン」に打ちのめされた。何とかしてこれを継続視聴する方法はないのか。もう日本アニメはどうでもいい。これを見たい。私は「バットマン・ザ・フューチャー」に飢えていた。「ミルアミーゴ」の同人誌で「バットマン・ザ・フューチャー」がスカパーのカートゥーンネットワークで放送されることを知るのは、その年の十二月だった。