ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

私が海外アニメ道に入った経緯 その2

スカパー生活の始まり

バットマン・ザ・フューチャー」がCSのスカパーで放送されることを知ると私はすぐ行動に移した。CSについての情報を集め、チューナーを購入し、そしてスカパーを見始めた。だがしばらくの間、私が楽しんでいたのは過去に見られなかった日本アニメの再放送だった。「ザ・フューチャー」の初回放送はまだだったし、そもそも私はべつに海外アニメが好きではなかったのだ。「トムとジェリー」は低レベルなくだらない追いかけっこアニメという認識でしかなかったし、ディズニーに至っては「グニャグニャ動く気持ちの悪いアニメで暴利をむさぼる偽善の権化」というイメージで完全に敵視していた(これはトゥーンディズニーの放送開始で認識を改めるまで続いた)。つまりカートゥーンネットワークの中で私の見たいものは「バットマン・ザ・フューチャー」ただ一つだけだったのである。しかし、カートゥーンには不思議な魔力があった。ちらっとでも何度か見ていると慣れて面白さが分かるようになるのである。私はこれを「カウ&チキン現象」と勝手に名付け、文字通り「カウ&チキン」あたりから徐々にカートゥーンを見始めていった。「パワーパフガールズ」にハマリだしたのもこの頃からである。スカパー視聴以前の、子供向けアニメを積極的に見ていた頃に「パワーパフガールズ」は地上波で何話か見たが、どうしてもあの巨大な目には馴染めなかったのだ。さて、スカパーを導入して数週間経ちカートゥーンにも慣れたある日、ついに念願の「バットマン・ザ・フューチャー」が始まった。私は歓喜にうち震えた。クールかつシャープでハイセンス、まさにそれは「大人の鑑賞に耐えられるアニメ」だった。地上波で日本アニメにしがみついている消費者オタク共に今こそ私はざまあみろと叫びたかった。私はついに、かつてアニメファンの誰もが探し求めた約束の地に辿り着いたのだ!…だがそれは子供向けアニメへの探求と同じく、非常に孤独な視聴の旅だった。一般的なオタク世界ではハーレムアニメが全盛を極め消費者傾向は一層高まり、もはや研究者としてのアニメファンの存在はほぼ完全に廃れていた。私はそんな現状にやさぐれた。「もう、いいや」と思った。そしてカートゥーンは「研究せず、ただ楽しむだけ」に留めることにした。だからいくら作品を見ても、スタッフ名を記憶することも、制作会社のクレジットを追うこともしなかった。その頃にカートゥーン視聴の頼りにしていたのは「小町屋」というサイトだった。彼らも私のように一般的なオタク世界から離れた世界に生きていたが、彼らの方が先進的で面白いものを次々と発見していた。私がニコロデオンを見るようになったのは彼らの影響である。当時のニコロデオンは何だかよく分からない混沌としたチャンネルで全くやる気がなく「レンとスティンピー」と「スポンジボブ」をただただ垂れ流すイメージの変な局だった。そのうちにディズニーチャンネルが開局したが、さすがに前述のイメージもあって契約後すぐに視聴をやめてしまった。「キム・ポッシブル」も見たがたいして感心は持たず、カウ&チキン現象が発動するほどには視聴しなかった。ディズニーチャンネルでの目当てはもっぱら「リセス」だった。「リセス」は子供向けアニメを探求していた頃に地上波で偶然出会い面白さに引き込まれた、思い出のアニメだった。何より「ディズニーなのに大人に刃向かっている」という点が痛快だった。「リセス」についてはのちに同人誌「TOON GUIDE」で解説することができたが、あれは私にとって一つの重要な出来事だった。…こうして私は数年間、カートゥーンを研究対象ではなく娯楽として視聴していた。しかし2005年に「ジェニーはティーン☆ロボット」が始まると私はこれに大ハマリし、同時に「こんなに海外アニメ好きなのに何で私はこっちに進まないんだ?」という素朴な疑問に気づいてしまった。海外アニメを「好きだから見ている」という自分がいることにそれまで全く気づかなかったのである。好きならば、是非もなし。私はカートゥーン研究の道に入ることを決意し、政治寄りだったブログを今の形に一変させた。そして先人との繋がりを積極的に求めだし、視聴作品の幅を広げ、スタッフ・制作会社を調べだした。私の中のアニメファンの基本がここに再起動されたのである。以上のような経緯で、私はカートゥーンという、日本オタク界辺境の地へと辿り着いた。思えば長い長い遠回りの旅の末のスタートラインであった。<終>