ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

日米能力バトルものの比較

注意:最近「ジョジョの奇妙な冒険」第四部を読んでなんとなくそう思ったので書きますが、私はマンガにもアメコミにも疎いのでおそらく正しい説ではないと思います。そこを考慮して読んでください。


まず「ジョジョ」や「山田風太郎忍法帖」などの日本の能力バトルものでは”敵の能力は分からない”または”敵が誰かは分からない”あるいは”敵がどこにいるのか分からない”といった大きな謎が最初に提示されストーリーが展開されます。したがって謎解きと心理戦がドラマの肝であり、同時に主人公の戦い方も、どんな能力を持っていても結局は謎解きと心理戦がメインになります。


対してアメリカの能力バトルものではそういった謎は提示されません。なぜか。アメリカの能力バトルものでは、能力者は外見が変化してしまっているからです。体が緑色だったり、背中に翼が生えていたり、あるいは”奇抜なコスチュームを着ていたり”します。体を張って自分から「私は能力者ですよ」とアピールしているので、わざわざ群衆の中から探し出したり、神経をすり減らして正体を見抜いたりする必要がないのです。しかし裏を返せばこれはつまり”アメリカでの能力バトルものは変身ヒーローものである”といえます。


能力自体に関しても日米では違いがあります。日本の能力バトルものでは能力の発動に様々な条件が科せられます。例えば”絶大なパワーと時が止まるほどのスピードを出せるが射程は2mしかない”とか”女性の乳首を斬って吹き出る血を刀につけてその刀を振って血を飛ばして血が付いた部分が斬れる”とか(後者は急に襲われたらどうすんだという気がしますが)。この、細かく神経質ともいえる条件付けは謎解きと心理戦の中でこそよく映えるもののはずです。


対してアメリカの能力バトルものでは能力は単純です。”飛べる””怪我をしてもすぐ治る””怒ると際限なく強くなる”これらは繊細なストーリーが要求される”謎解きと心理戦”には不向きな能力です。なぜかというと規制が緩く単純な能力は強すぎて、繊細なストーリーを破綻させてしまうからです(確か「アヴドゥルは強すぎるのですぐ殺した」と荒木先生も言ってたような)。逆にいうと単純で強い能力者同士がぶつかり合う構造はまさに変身ヒーローもの向きであるといえます。


まとめるとこうなります。
日本の能力バトルもの:謎解きと心理戦・複雑な能力
アメリカの能力バトルもの:実は変身ヒーローもの・単純な能力


ちなみに何でも例外はあるもので、アメリカドラマの「HEROES」はアメリカの能力バトルものにしては珍しく”登場人物がみんな普段着=外見では誰が能力者か分からない””複雑な能力””謎解き”といった日本の能力バトル的な要素が強く日本人でも素直に楽しめる作品でした(シーズン1までは!(笑))。