ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

「シュガー・ラッシュ」が大団円を迎えるために本当に必要だったもの

シュガー・ラッシュ」の感想で『ストーリー的にラルフの精算は済んでいない』と書いてから、具体的にどういう精算が必要だったのかがどうしても頭に引っかかってずっと考えてたんだけども、やっとそれが分かった。「シュガー・ラッシュ」は、特定の職業の人がむやみに恐れられ不当な扱いを受けている、被差別者の物語だった。だから、ラルフが真に救われるために必要なのは悪役全体の地位向上と差別撤廃だったのだ。考えてみれば、映画のあとでもラルフが平等に扱われるのはおそらく自分のゲームと「シュガー・ラッシュ」と、かろうじて「ヒーローズ・デューティ」の中だけだろう。セントラルステーションでは相変わらずラルフは他のゲームキャラクターからは避けられるだろうし、何よりも、自分たちでセラピーを開かなくてはいけないほど精神的に追い詰められている他の悪役たちの日常にはなんの変化もないはずだ。ラルフ一人は個人的・精神的に救済されたかもしれないが、悪役という職業・地位自体は相変わらず弾圧されたまま。これじゃハッピーエンド、大団円とはとても言えない。つまりラルフが本当にするべきことはメダル獲得ではなく、公民権運動だったのである。もっというと失業者救済を含めた平等運動がなされるべきだった。映画のあとに失業者を受け入れたゲームが他にないのを見ても、あのゲームセンター内のゲームキャラクターの市民意識がいびつなままなことが見て取れる。もし続編を作るならラルフが「I have a dream!」と演説する物語にするべきだろう。「シュガー・ラッシュ」はそれで初めてきちんとした結末を迎えるはずだ。