ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

毒舌芸人は

常に捨て身でなければならない。なぜなら自分よりも立場や地位が上の者、自分より強い者の核心を突くことでしか毒舌は笑いへは昇華しないからだ。これができていない”毒舌”は毒舌ではない。ただの放言または悪口だ。


そして昨今は放言・悪口しか吐けない”毒舌”芸人が横行している。自分と同じかそれほど高くない地位の人間への”毒舌”は、自分を安全地帯に置いた上で相手を攻撃する、よくあるいじめの構図とさほど変わらない。ツービート時代のビートたけしが偉大だったのは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と、常識という名の巨大な良識層に対して毒舌の挑戦状を叩きつけたことにあった。


さて、番組名を書くのも嫌だが「エンタの神様」である。チャンネルを変えていたらカンニングが”キレ芸”を披露していたので不覚にもちょっと見てしまった。「結局この番組は視聴率、もしそこらのオッサンを映して数字が良ければオッサンがレギュラーですよ」「ダンディーは二回で捨てられた」この発言はかなりハイレベルな毒舌だったと思う。何より核心を突いている。


そう、この番組は笑いを中心にしながらも別に芸人を、芸を必要としているわけじゃない。芸人は馬鹿な視聴者を数分間TVの前につなぎ止めておくための道具であり、ただの捨て駒。だから実際には視聴者の興味をひくものであればオッサンでもたわしでも何でもよく、今は「たまたま芸人が多く出ている」に過ぎない。だから私はこの番組が大嫌いだ。芸人を使っていながら芸人を非常に軽く見、馬鹿にしている、そのスタンスが許せないのだ。


と、こう書くと番組内でのカンニングがまるで毒舌英雄だったかのようだが、実際は番組批判とその後の「うんこしてやる」→尻出し→ADに連れ去られるまでを含めて全て予定調和でしかなかった。”ちょっとしたハプニングを演出してみました”とでも言う気なのか。


収録番組でハプニングも何もない、そんなものはただ白けるだけだ。カンニングはこの放送で確実に視聴者の不評を買った。それはうんこをするそぶりを見せたからではない。この番組は芸人の芸人生命を奪ってまで視聴率が欲しいのか。笑いを愛する者のはしくれとして、私はこの番組を絶対に許さない。