ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

4月22日 看護師との戦い

これを書いているのは5月31日、退院から一か月経ちました。闘病の記録を書く気が起きなかったのは緊張感が薄れてきたためです。自分ががん患者であることは確かなのですが、重い症状がないのでそれをだんだん忘れてきています。でも長生きはできないなという思いは常にあり、中ぶらりんな精神状態が苦しいです。やはり治療が進まないと何も始まらない…でもまだリンパ腫の型すらはっきりしておらず、化学療法も始まっていません。当初の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」から実は「濾胞性リンパ腫」ではないか、という診断に変わってきつつはあるんですが、濾胞性リンパ腫は生と死の差が激しい型なのでこれから一体どうなるのか恐ろしいです…(濾胞性リンパ腫は治療法が確立されておらず化学療法が効きにくい上にいったん症状が加速しだすともう止められない)。明日こそ診察でやっと型が判明するはずなんですが…。症状が加速しやすい、濾胞性リンパ腫のグレード3だったらもう終わりだなとは思っています。


4月22日
盲腸手術の時と同じく、大腸切除後はまずおならが出るかどうかが回復の鍵になってきます。でも、腹腔鏡手術で腹筋がなくなるとげっぷやおならを出すのは困難になります。21日中にはもう出そうで出せない状態が続いていたんですが、日付が22日になってすぐ、身動きできない体をよじってどうにかおならを出すことに成功しました。そしてこの夜は朝まで四回おならを出すことができました。


起床時刻になりました。ここからが大変です。痛みで、寝た状態から体を起こせないのです。電動ベッドの機能を使い、のたうち回って身を起こすだけで15分かかります。なんとか起きあがる方法を模索することがこの日のテーマになりました。リハビリの歩行は午前中に病棟内を四周しました。


この日は朝の血液検査で炎症の数値が上がり「カテーテル感染症」ではないか、という疑いになって若手の医師が私のことを気にかけていました。実際、午後になって38.1度の発熱になりさらに採血をして様子を見ることになります。


一方、午後になって私は身を起こす手順を探ろうと試行錯誤を繰り返していました。横向きに寝た状態からうつぶせになれれば簡単に起きられるのでは、と何度も思ったのですが、この体を横向きにする動きが痛くて痛くてできない。あと、使っていない肩の筋肉に無理がかかるので、だんだん起きあがる度に肩に激痛が走るようになります(これは退院するまで続きました。看護師は決まり文句で「手術中にずっと肩を上げたポーズだったから」と言いますが、私は全身の筋肉バランスが崩れているからだと思います)。自力ではどうにもならず、先人の知恵を借りようとネットで調べて帝王切開後の妊婦さんが使う、電動ベッドをフル活用した起きあがり法を試したりもしましたがなかなか上手くはいきません。


そうこうしているうちに私は背中の痛みというか違和感が気になってイライラしてきました。手術後に目覚めてからどうも背中に当たるものがあり、ずっと困っていたのです。背中に挿入されたカテーテルかなと思いながらも、ベッドをよく見るとシーツが二重になっている部分があります。これのせいかもと思い、よいしょよいしょと少しずつ体を動かし、時間をかけてシーツを剥がしました。


ちょうどその時、病室に夕方の検温で女性の看護師が来ていました。看護師はまず向かいの糖尿病の爺さんのところに向かいます。この爺さんは手術後であると共に糖尿病も患っているのですが自分でインシュリン注射をする手順を全く覚えません。看護師は何度も爺さんを怒鳴りつけて指導し、そして不機嫌なまま私のところへやって来ました。私は、この時点でもまだカテーテル感染症の結論がどうなったのか知らされていなかったので、”背中のカテーテルからの感染症の可能性もあるのではないか”という意味をこめて「背中が痛くてシーツを一枚はがしたんですよ」と言いました。すると、看護師から返ってきたのはあり得ない冷たい一言でした「寝過ぎですね」。


”えっ、どういう意味?”と私は一瞬固まってしまいました。そして”みだりに怒るのはいけない”とも思い、看護師をそのまま行かせてしまいました。でも頭の中は疑問符でグルグルしています。”ちょっと待って、今、バカにされた?お前は寝てばかりで歩行訓練もしない、怠惰でなまけ者の患者だって切り捨てられた?私の午後の努力苦労痛みをなかったことにされた?なぜ患者というだけであんなことを言われなきゃいけないの?”そう思うと急激に怒りがこみ上げ爆発し、もう止まらなくなりました。でも、すでに当の看護師は目の前にいません。名前も確認していなかったし、ここの女性看護師はほぼ全員口元をマスクで隠し髪はおだんごにまとめる統一スタイルなので特徴も分かりません。私の頭にはこれまでの外科の看護師の冷たさがよぎりました。手術当日にリカバリールームではない部屋に入れられたこと、そして今日のカテーテル感染症の件も何時間も放置されていること…私は看護師全員に敵意を持ち、怒りをぶつけることにしました。しかし、私はモンスター患者ではありません。やるとしても、あくまでも非暴力抗議活動です。”歩かないなまけもの患者だって決めつけるんなら、限界以上の歩きを見せつけてやろうじゃないか”そう思い、私は無言の抗議を実行することにしました。


動かない体を怒りで動かし、ベッドから起き上がります。廊下を出ると通りかかった女性看護師がなぜか「運動ですか?」と話しかけてきました(先ほどの看護師かとも思いましたが分かりません)。私は言いました「さっき嫌味を言われたので歩いているだけです。人が嫌みで動くと思ったら大違いですよ、私は腹を立てているだけです」そして、わけが分からないのか無言で去っていく看護師の背中に私は大声で言いました「あんたらは敵だ!」(これは全部実際の発言です)。


抗議の大歩行が始まりました。ナースステーションを中心にして八の字を描くように病棟を歩き、ナースステーションの前に差しかかったら憤怒の形相で全員をじっくりにらみつけます。いい人そうだろうが恨みがなかろうが看護師でない当直医だろうが男だろうが女だろうが関係ありません。全員の目を見てガンを飛ばします。これを何度も何度も繰り返します。廊下にいる看護師もにらみつけます。例外はありません。全員が敵です。そして病棟を何周もしているうちに、不思議なことが起こりました。痛くて痛くて動かないはずの体が、以前と同じく動くのです。”体が元気だった頃の記憶を取り戻したんだ”と私は解釈しました。最初は腰を曲げ、点滴台にしがみつきながら一歩一歩ゆっくりゆっくり歩いていたのに、周回を重ねるうちに背筋が伸び、歩幅が広がっていきます。しだいに術後一日しか経っていないとは思えないような、健康的な素晴らしいスピードで歩けるようになり、私は高速で看護師にガンを飛ばしまくりました。”怒りが痛みを感じなくさせるのもそうだけど、精神は肉体を越えられるんだな”と思いながら静かな戦いは続きました。最初は「なんなんだこの人は?」と怪訝な顔をしていた看護師たちも、だんだん自分たちに敵意が向けられていると察したらしく、ナースステーションの手前の席から人がいなくなっていきます。三時間くらい続けてやろうかと思いましたが、怒りの神通力が切れたのかまたじょじょに体が動かなくなってきました。結局十数周して、抗議の歩行は中止することにしました。半周ごとにナースステーションの前を通っていたので看護師たちは私の怒りの形相に二十回くらい遭遇したはずです。


ベッドに戻ってきて上半身の病衣をはだけました(点滴をしているので脱げません)。汗びっしょりです。腕を見ると、点滴の管に血が逆流していました。元気に腕を振って歩いたせいでしょう。ナースコールを押して私は言いました「点滴逆流、さっさと来いや」そして点滴の処理をする看護師も無言でにらみつけ「何か?」と抗議するように言ってきた看護師に、私は「いえ別に…ただここの看護師はクソだと思ってね」と吐き捨てました。宣戦布告です。去っていく看護師の背中に「紳士的な対応はもうしないから」とも告げました。


さて、本当の戦いはここからです。先ほどの看護師が動揺して点滴の処置が甘かったのかまた点滴の逆流が起きています。ナースコールのボタンを押すとこちらにうむを言わさず「うかがいます」と声がして通信が途切れました。私は要注意患者として認識されたようです。やってきた看護師には「逆流でーす」と嫌みったらしく言いながら腕を見せつけました。そして処置を終え帰ろうとする看護師に私は溜め込んだ疑問をぶつけました「あのさ、聞きたいんだけど手術後にリカバリールームへ入るはずだったのにそうじゃなかったのはなぜ?」看護師はなんとか私を言いくるめようとしますがそうはいきません。最近気づいたのですが私は口論が強いのです。おそらく”言葉は通じても話は通じない”両親から自分を守るために身についた話術でしょう。看護師は「確認してきます」と急いで去ろうとしますが、さらに私は「カテーテル感染症の件はどうなってんの?」と皮肉っぽくぶつけ、追い返します。


それから何度か看護師との口論が繰り返されました。看護師は「そんなにここが気に入らないのなら」と転院もちらつかせてきましたが「現実を知らないんだなぁ」と一蹴し、その口論の中で「どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのか…」とことの次第をタネ明かししました。そしてまたやって来た看護師に「別にね、この病院に感謝はしてるんですよ、先生にもお世話になったし」と”病院自体に怒りがあるのではなくお前ら看護師に怒っているのだ”と示してみました。するとやっと事情が向こう側に通じたようで、看護師が「今夜の件は上の者にも伝えて、患者さんとのコミュニケーションについてこういうことがないようにという話になりました」と謝罪の言葉を述べてきました。私はやれやれと思いながら「そういうことであればこちらもほこを収めます」と言い、これにて手打ちとしました。


疑問点について看護師からの答えはこうでした。「手術当日のリカバリールームが救急患者などでいっぱいだったので、先生の判断であの部屋になった」「カテーテル感染症については結局よく分からないが、実はもうカテーテルは必要なかったのでこれから先生が抜きに来る」いちいち先生を前面に出してくるのはずるいなと思いましたが、まぁもやもやしていたものが晴れたのでいいかと思いました。ちなみに若手の先生がカテーテルを抜きに来たのは手術を終えた午後9時頃。外科医の激務ぶりには本当に恐れ入ります…。