ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

手術へ向けての準備期間が続く

注腸検査の腸整復でお腹の痛みがだいぶ良くなったなと思ったのもつかの間、だんだんまたへそのあたりの痛みが復活してきて困っています。何より「一度良くなっているだけに医師が真剣に取り合ってくれない」状態でまいってます。看護師には問診の度にお腹が痛いお腹が痛いと訴えているので看護師の間にはもう情報が行き渡ってるんですけどねぇ…。消化器内科の医師の株がどんどん下がっていきます…。以下テキストファイルの記録より引用再編。


4月7日

消灯後に痛み止めを入れてもらったあとも夜中中お腹が痛くて1時間おきに目を覚ましては眠る状態。外科の医師が来て触診、右腹の患部をさわられると痛い。昨日は吐き気もあったと言う。もう24時間お腹が痛い状態、吐き気もある。


消化器内科の医師が来た。吐き気のことは伝えられなかった。
消「お腹の痛みは腸重積による詰まりで、ガスが移動しづらくなっているからではないか」
私「お腹の痛みは手術で解消されるか?」→消「そう思う」
私「次から次にガスが発生するのは?」→消「なんとも言えないが、普段は気にならなかったガスが腸重積で気になっているのかも」
消「レントゲンではガスは消えている(レントゲン上は問題ない、ということか)」


注腸検査及び腸整復を8日午後に行う(外科から申し出があった模様)。薬剤師の人が来た。痛み止めのセソゴンは10〜20分で効いてきて3〜4時間効き目がある。6時間インターバルをあけて次のを使える。18:30頃からへそより上部の非常に激しい腹痛に苦しむ(13/10)1時間以上続いた。

痛みに加えてだんだん吐き気が出てきたので来週と言われていた注腸検査の予定が早まりました。


4月8日
24時間とてつもない腹痛に耐えていたので心身共に疲れ果てていました。

05:00起床、昨日は痛み疲れたのか20:30ごろ入眠。時たま起きて時刻を確認したりしたが8時間ほど眠った。06:05痛み止めオーダー、06:18注入開始。昨日の夜からへその上部が耐え難い痛み方をするようになってきた(13/10)。痛みに耐えるため、とにかく音や光の刺激を受けないよう左を向いて寝ながら注腸検査の時間を待った。時おり激痛にのたうつ状態


14:00注腸検査で腸の位置の整復に成功。回盲部が上行結腸までめりこんでいた。腹部を手で押されるのに合わせて息を吐くのがコツだった。腫瘍があるためその部分は造影剤が映らなかった。医師は回腸に造影剤が映るまでやりたかった様子。ただ腫瘍はあるのでいつまで今の位置がもつかは分からない、経過観察。

この時はバリウム注腸ではなく、より粘度の低い「ガストロ注腸」というタイプでの注腸が行われました。腫瘍が腸をだいぶふさいでいるのでバリウムだと閉塞が起きたりして危険なんですね。腸にガストロと空気を注入して圧力を加え、外科の医師がX線で腸の映像を見ながら手で私のお腹をぐいぐい押していきます。服の袖のように折りたたまれてしまった大腸を、外から手で押して正しい位置に戻すのです。最初は押されるのが痛くて息を止めて突っ張ってたんですが、押される時に息を吐くと楽なことに気づいてからはわりと余裕でした。結果としては成功で、胃の下あたりまで移動してた回盲部(盲腸の少し上の部分)が正しい位置に戻されました。成功してなかったら腫瘍の除去はお腹を大きく切る開腹手術になってて、腸もかなりの部分を失ってたはずなので良かったと思います。


4月9日
注腸検査後から9日の日中まで、注入した造影剤を排出するため何度も何度もトイレに行くことになり大変な思いをしました。この時突き上げるような腹痛があったので嫌な予感はしてたんですが、やはり注腸検査でおさまったと思われた腹痛は徐々に復活してしまいます。

07:35外科の医師が来た
外「どうですか具合は」私「便が出る前に痛くなります」
外「でも以前のような痛みではない」私「はい」
私「あと便の回数が異常に多いです」外「昨日入れたもの(造影剤)が出きっていないのと、これまで渋滞していた部分に引っかかっていたものが出ています。全部出きればおさまると思います」
私「なるほど」


14:00病室ベッド上で消化器内科の医師と看護士(柔道選手みたいな人)で中心静脈カテーテル開始。思いのほか難航、強い力で首をぐいぐい押されながら、麻酔(結局2回行った)もあまり効いていない中で切開されたり(?)明らかに麻酔の効いていないところを二箇所も縫合されたりで非常に痛く、苦しみのたうつ。顔に保護シートをかぶされて処置されたため暑さと痛みと恐怖で大汗をかき右耳が汗で水没したりした。さらに首が右に傾いた状態のままシールで固定されてしまい身動きが非常に不自由になった。一度横になると起きられなくなったり、顔を上に上げられなかったりした。21:00夜勤の看護師にシールの貼り直しをリクエスト、首を左に曲げた状態で改めて貼ってもらい動けるようになった。

この日は「中心静脈カテーテル」の処置が行われました。大腸の手術をするまでは絶食(最後にものを食べたのは3月31日の夜)なんですが腕から入れる点滴では栄養状態を保てないので、より太い血管つまり首の静脈からしっかりした栄養点滴をするのが目的です。そんなにたいしたことはないだろうと思っていたらまぁ下手くそで、50分くらいずっと痛みでシーツをかきむしっていました。最後の方は明らかに麻酔なんて効いてない首の皮膚を二箇所も縫われるという拷問でもう中世の手術かと…。さらに首を右に曲げた状態のまま看護師に首をシールで固定されてしまい、もう全く通常の動作ができなくなるというおまけつき…。医師の助手をするくらいなのでリーダークラスの看護師のようなんですがまぁお粗末な方でした…。汗で水没して右耳が聞こえないと言ったら、看「綿棒はありますか?」私「あります、そこの引き出しの中に」看「じゃあとで使ってください」セルフかい…やってくれるんじゃないんかい…。何もかも酷かった…。


10日
絶食で先週から体重が2kg落ちました。腹痛が復活しつつあります。

両親は少しずつコミュニケーションに協力的になってきている。特に昨日「お父さんは早く帰りたいみたいですよ」と私に言われた父は反省したのか今日は積極的に会話に加わってくれた。昨日の会話では母は退院後に一緒に旅行に行くことを楽しみに(?)しているようだ。手術後に家族向けにあるはずの説明がとても大事なのでよく聞いておいて欲しいことと、前開きタイプの肌着がイトーヨーカ堂にあるらしいのでもしあったら買ってきて欲しいと頼む。痛みレベル9/10の腹痛が不定期に起きて30秒ほどでおさまることは看護師は把握した模様。

両親は普通の人ではないので、とにかく当たり前の人間の言葉を持っていません。昨日は、過酷な処置でぐったり横になる私を前にして、二人は全く無言のまま何分も黙りこくっていました。「大変だったね」とか「頑張ったね」と声をかける思考そのものが彼らにはないのです。あまりにも何も言わない様子が私には逆にシュールすぎて面白くなってしまい、二人にその旨を言うほどでした。それで父はいつものようにベッドから少し離れた場所にそそくさと椅子を用意して座りこんでいたんですが、私が母と話しているうちにあくびをしたので「早く帰りたいようですよ」と嫌味を言ってやりました。父はこれが結構こたえたようで、10日からは積極的にコミュニケーションしてくれるようになりました。


11日

夜中からへその下側に妙な痛みがあり気になる。


09:30消化器内科の医師が来た。
消「ヘモグロビン値10.2で貧血はやや改善」消「手術は来週と聞いている」
急激な腹痛については話を切り出せなかった。あまり話題にしたくないか問題視していないようだ。


13:45昼頃から5/10くらいの腹痛がずっと続いている。トイレに行っても便は出ない。つらい。17:06下から突き上げるような激しい腹痛10/10、一分もかからずおさまりはしたが完全に注腸検査以前に戻ってしまった感がある。17:20夜の薬を飲む→17:40激痛13/10すぐにはおさまらない、痛み止めをオーダー。何かを飲むと腹痛が出る、注腸検査以前のパターンに戻ってしまった。17:50痛み止め注入開始。次に使えるのは8時間後の02:00頃。18:00効いてくる。

腹痛のパターンが完全に元に戻り、ついに痛み止めを使うことになってしまいました。この腹痛は消化器内科の医師からは”よく分からないけどー腫瘍の方が大変だしぃ”というふわふわしたスタンスのまま棚上げされ続けているので、上手く立ち回らないとうやむやにされかねません。痛み止めを使ったことで記録には残るので、それが彼に届けばいいんですが…。明日は外科の医師から手術についての説明がある予定です。