ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

パンティ&ストッキングwithガーターベルト 対 内山田洋&クールファイブwith小室哲哉

「パンスト」を見てると凄く違和感を感じるんですがそれが何か分かりました。これ”カートゥーン的なもの”を目指してるんじゃなくて”アメリカ的なもの”を目指してるんですね。だから作品全体が『俺の知ってるアメリカ知識披露大会』になっちゃってる。簡単にいうと中学生が辞書で初めて知ったFUCKという単語を連呼してるような、もの凄く薄っぺらいアニメになっちゃってる。これはいけません。方向性がおかしい。アニメーションなんだから、やるべきなのはカートゥーンから動きやテンポやストーリー展開やBGMの使い方を学んで、それを日本アニメの中に生かすことです。かつてカートゥーンネットワークスタジオは「ティーン・タイタンズ」でそれを行い日本アニメのスタイルを自分のものにしていきました。その流れは「ベン10」やその他のカートゥーン(例えばニコロデオンの「アバター」)にまでつながっています。フランスのアニメ業界でも同様の流れがあり、今や日本アニメ的なキャラクターや動きは世界的に見てもそれほど珍しいものではありません。日本アニメ的なものが日本でしか作れない時代はすでに終わっているのです。「パンスト」は何がしたいんでしょう。新しいものを取り入れて日本アニメを進化させたいのではないのでしょうか?そうでないなら、前述した通り『俺の知ってるアメリカ知識披露大会』で終わってしまいます。つまり単なる自己満足の自慰行為です。「パンスト」のスタッフは自分たちが何をしたいのか今一度確認する作業をすべきだと思います。