ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

F1モナコグランプリ

私の特殊能力に「たまにしか見ないスポーツを見たときはとんでもない試合展開になる」というのがある。松坂大輔登板試合を見ると松坂は大炎上。相撲を見れば5分くらいの大相撲の末に水入り。ラグビーを見れば100点ゲーム。今回これが見事に発動してしまった。どういうわけか数年ぶりに「F1をちゃんと見よう」と突然思ったのだ。


ああもうスタートからして何度もトラブルが起きるし。佐藤琢磨はすぐいなくなるし。遅いラルフは邪魔ばっかするし。すまんっシューマッハ!私のせいだ!私がうっかり視聴したばかりに有り得ないクラッシュを君にもたらしてしもうた(わらい)。あのまま行けばシューマッハの大逆転も大いに有り得たのになぁ、残念。


しかし数年ぶりに見たら、川井ちゃんがずいぶん表舞台に立ってるじゃないの。まぁ一番「分かってる」上に一番現場に近いんだから、ピットレポートみたいなスポット的起用法はもったいなかったのは確かだけど。


それにしてもよくしゃべるしよく反論する。「アナが何か言う→川井反論する→今宮仲裁する」のパターンを何回聞いたか。でも彼らのやり取りを聞いてると「モータースポーツは自分の分析がどれだけ現実と合致するかを楽しむもの」という、常々思っていた私の考え(下記参照)はやはり正解だったんだとあらためて感じる。

  1. 野球・サッカーは過去(起こったプレー)を振り返ってどれだけ凄いことが行われたかを楽しむスポーツ
  2. モータースポーツは未来(これから起こるレース状況)を考え現実と照らし合わせて楽しむスポーツ

したがって個々の現実的なドラマはありつつも「うわー速いなぁ」とか「因縁の対決!」とかいうのはF1を見るときの視点としては間違いなんだろうと思う。


さらにいうと古館伊知郎のF1実況が不評だったのは、彼には今起きている現実を大げさに語る能力しかなかったところに原因があったんだろうと思う。裏返せばプロレス・格闘技というのは現在(今この瞬間に起きている攻防)を見て勝負の行方を楽しむスポーツであり、古館の才能はそっち側だったというわけで。


そういえば古館の語る思い出話や将来の話ってのは、一生懸命語られてもどことなく「嘘くせえ臭い」しかしないんだよな。要するに古館のタレントとしての消費期限は常に「現在」にしかないわけだ。古館の語りは毎秒消費されてあとに何も残らないんだな。おそらく古館が「いつもあたふたしてるように見える」のもここに原因があるんだろう。なんかかわいそうだ。