ふとんのなかから

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫にかかったあとだらだらしている人のブログ

造語”けまらしさ”について考える

けまらしさについて
http://d.hatena.ne.jp/koseki/20040723#nareai

あまりも便利すぎる意味の言葉は結果的に罵倒用語にしかならないので、あんまり造語はいくないと個人的には思っておりますが、「そういう状況を言語化する」という点についてはおおその手があったかと感心させられたので、ちょっと私もけまらしさについて考えてみようと思います。というのもインターネットが一般化する前の草の根ネットの時代からこういうのはあちこちで起きながらも特定の語彙はなかったんですよね。まぁ草の根ネットの住人はならば争いが起こる前に封じてしまえと「馴れ合い禁止」をマナーとして掲げたので逆に言語化する必要がなかったのですが。


とりあえずけまらしさってのはこういう風にして起こるんじゃないですかね。
『”けまらしさ”発生・表面化プロセス』

  • 論理的な共有空間がある(2Chの板かスレッドであったり、普通の掲示板であったり、はてなグループであったりetc)。
  • そこは共有された空間であり、参加者は一定の仲間意識を持っている。
  • しばらくは誰もが対等な仲間だが時間がたつにつれそこから親しい者同士のグループができる。
  • するとそのグループのメンバーに近かったか、近いと自覚していながらも、グループに入れなかった人間が発生する。
  • その人間は「共有空間にいながらあのグループには入れなかった」ことに対しての疎外感と嫉妬心を持つ(けまらしさ発生)。
  • 疎外感と嫉妬心が弱いか、自制が効けばけまらしさは表立たない。
  • だが疎外感・嫉妬心が強いか自覚がないか自制が効かない場合は解消行動としてそのグループもしくは共有空間自体への攻撃を行う(けまらしさ表面化)。

ネットは論理空間が広いので特定グループにとっては「あんた誰?」という人までが嫉妬心を感じるのと、自覚のないけまらしさの場合は自己の正当性を伴った攻撃になるのが、けまらしさの厄介なところなんじゃないでしょうか。私は人間関係を作るのが極端に下手なんで、けまらしさはよく自覚するんですけど自制かけてますんで(今のところ)攻撃まではいかないです。怖いですねー気をつけたいですねー。